口コミ4件

  • 北京理工大学への投稿
    guidai
    日本
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    国際色、日本人比率3.0
    元在校生(通学期間:2006年9月~2007年7月)2016/01/22
    2006年当時、アフリカ人が集団で留学してきていて、その外にインドネシア人、韓国人、カザフスタン人、ロシア人、モンゴル人、日本人が多かったです。 欧米人も少数いました。 韓国人が特に多く、グループで派閥などもありました。 韓国人は学校の外に自分たちでアパートを借りて、ハウスシェアをしている人も多くいました。 モンゴル人やカザフスタン人はケンカっぱやく、何度かケンカをしていて怖い思いをしました。 日本人は年齢層が幅広かったのに比べて、アフリカ人は若年層がほとんどで、他の国の人も若い人ばかりでした。 インドネシア人のルームメイトは、夜中屋朝方に部屋でお祈りなどをしていたり、時々ドリアンのお菓子などをくれました。 ドリアンのお菓子は口に合いませんでしたが。 ロシア人はかなり若く、高校生くらいで、夜になるとよくクラブ通いなどしていましたが、日本人でクラブ通いしているのは少数でした。 4人部屋の宿舎は、最初は韓国人とインドネシア人、カザフスタン人と一緒でしたが、途中カザフスタン人が出て日本人が入りました。 せっかくなら違う国にしたらいいのにと残念に思いました。 北門の宿舎にはアフリカ人は1人もいませんでした。 アフリカ人はほとんどが東門近くの宿舎にいて相部屋で生活していました。

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  • 北京理工大学への投稿
    guidai
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    買い物、飲食3.5
    元在校生(通学期間:2006年9月~2007年7月)2016/01/22
    北門の宿舎のすぐそばに、超市(スーパーマーケット)と看板が出ている商店があります。 なんでも売っていますし、夜も遅くまで営業していました。 毎日飲み物や洗剤、文房具など買いに行っていました。 韓国系のロッテなどのお菓子や、ポッキーなど日本企業のお菓子が充実していたので、よく買っていました。 小学生と中学生の姉妹が店番をしていました。 学校内にスーパーが3件ほどと、市場もあり、季節の果物などよく市場で買っていましたが、一度イチゴを500グラム買ったとき、店員が袋に入れるところをよく見ていなかったら、腐りかけや小さいのばかりを入れられた事がありました。 その時はすでに中国語が話せるようになっていたので、文句を言って買わずに違う店に行きました。 日本人だと思われるとこんなこともよくあります。 大学の敷地内には、中国料理のレストランのほかにも韓国料理屋さんがあり、授業の後で友だちと毎日のように食べに行きました。 もう9年前になりますが、石焼きビビンバが12元でした。他にキムチチャーハンやラーメンなどもよく食べました。 学校からバスで少し行ったら、大型スーパーのカルフールがあり、週末などに買い出しに行ったりもしていました。 カルフールと反対方向にイトーヨーカドーがあり、そこでは生で食べられる卵なども売っていて、すき焼きパーティーなどもしました。

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  • 北京理工大学への投稿
    guidai
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    学生寮3.5
    元在校生(通学期間:2006年9月~2007年7月)2016/01/22
    北京理工大学の寮は2つあります。 東門近くの寮と、北門近くの寮で、私は北門近くの寮にいました。 東門近くの寮は、北門の寮に比べて少し料金が安かったため、日本人よりはアフリカ人などが多かったです。北門近くの寮は、一人部屋でしたが、東門近くの寮は2人一部屋でした。 北門近くの寮は、2006年の当時1日千円程度の宿泊料で、4つの部屋に1つのリビング、シャワー、トイレがあり、リビングにはテレビと木のソファーが置いてあります。  冷蔵庫はなかったような気がします。 シャワーとトイレは1つの部屋のため、ルームメイトがシャワー中は部屋のトイレが使えず、一階レストランのトイレを使っていました。 シャワーはお湯がちゃんとでますが、狭かったです。 10階に共同の洗濯機があり、4台くらいがならんでいて、洗剤や柔軟剤はその都度部屋から持って行って入れていました。 他の人の洗濯物が残っていたら出して、自分の洗濯物を入れないといけませんでした。洗剤はスーパーに、日本でもお馴染みのアタックやアリエールなどが売っています。 北京は冬に気温が氷点下まで下がりますが、部屋の中はいつも暖かく、かなり乾燥していました。 部屋にあるタンスと本棚にロープを渡して、洗濯物を干していましたが、3時間くらいで渇きました。 加湿器が必須でした。

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  • 北京理工大学への投稿
    guidai
    日本
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    講師4.0
    元在校生(通学期間:2006年9月~2007年7月)2016/01/22
    北京理工大学の中国語クラスの先生は、女性の先生が多く、40代くらいの方がほとんどでした。ほとんどの先生たちは全く日本語は話せず、聞き取りもできませんでした。 私は留学当初、日本で中国語の勉強は全くしていなかったので、先輩がいないと先生たちとコミュニケーションがとれませんでした。 でも親切な方ばかりで、特にリスニングの先生は、とても聞き取りやすい発音で根気良く教えてくれたので、当時19歳だった私は先生のおかげで3ヶ月もすれば日常的な会話が聞き取れるようになりました。 発音についても、諦めずに指導していただいたおかげでかなり上達しました。 同じ初級のクラスには、カザフスタン人やロシア人、韓国人などがいて、遅刻する人も多かったので、時には先生からチクリとイヤミを言われたりしていました。 日本人では、定年退職後に留学して来られた年配の方もいて、留学生の年齢層はかなり幅が広かったです。 授業中、教科書の内容を脱線して、先生と中国語で昨日の晩ご飯はどこで誰と何を食べたか、など雑談をする事も多く、その当時は楽しくおしゃべりしていましたが、今思えば口語が鍛えられたと思います。 また、先生も外国に興味を持っている方が多く、文化や風習についての質問をよく受けました。 教科書の内容を暗記して、ホワイトボードの前で短い劇なども行いました。 その様子を先生が写真に撮ってくれて、今でも写真を大切にしています。

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