回答7件

  • 元滞在者 h_aya
    日本人の割合は、州や町によって本当にまちまちです。
    自然と大都市はそれなりに日本人が多くいて、コミュニティもあったりしますが、大都市のニューヨークなどはビジネスで来ている方、逆に私が留学したピッツバーグは学生が多かったように記憶しています。
    昔、家族でカリフォルニアに住んでいた時は、日本人主婦層のつながりが強く、お子さんの学校情報の交換や習い事のお迎え、日本人学校のイベント参加など家族ぐるみがしやすかった環境でした。
    日本人の割合によって利点・難点は見方によると思いますが、個人的に留学する際はあまり日本人が多いと現地の経験を満喫できないような気がします。言語の不自由がある限り、どうしても団体で固まってしまうので、あえて多国籍なアメリカで色々な人と触れ合うのが良いと思います。
    あまり不便に感じた点はありませんでしたが、郵便や荷物の配達が日本ほど便利ではないし、安全でもありません。アメリカから日本へ郵送した荷物を無くされたこともあったので、保険やトラッキングは少々高くてもつけた方がいいと思います。
  • h_aya
    アメリカの良い所で書いた点は、諸刃の剣でもあり、人種のるつぼであるからこそ、難しい点はいくつもあります。
    留学する際に様々なカルチャーギャップは体験すると思いますが、個人的に思い出すのはやはり人種に伴う扱いを受けたことです。アメリカと言えども教育水準や教養はまだまだ格差があり、それ以上に様々な思想や姿勢を持つ人が同居している状況なので、中には日本人、又はアジア人全般に特定の印象を持っている人も少なくありません。特に悪意を持った扱いは受けませんでしたが、人種差別的な扱いを受ける可能性は大いにあること、またそれを受けても冷静に受け流すことが大切だと思います。
    また、アジア人は特に同人種で集団行動をする傾向にあるように思いますが、せっかくの留学体験なので積極的にいろいろな輪に参加することをおすすめします。最初はもちろん恥ずかしさや戸惑いがあるのが普通ですが、勉強している身としては必ず共通の話題があるので、それを発端として交流を始めるのは意外と簡単なことです。そして、アメリカで同人種で固まって行動していると(特に英語以外で話していると)、思っている以上に目立つので、他の人が話しかけにくかったりするのかもしれません。自分から敢えて壁を作らずに、少なくとも最初は遊び心を持って人と接するいい機会だと思います。
  • h_aya
    人種のるつぼであることです。
    特に大学は勉学を中心に様々な背景や人種が集まる特殊環境であり、その中で生まれる交流や人脈はかけがえのないものになりうる可能性があります。そういった人々が集まる中、一緒に遊び、議論をし、いろいろなことを話し合う中で、自分のアイデンティティも自然と形成されて、グローバルな社会における自分の居場所が見つかるのでは、と思います。
    何事もまずは受け入れ、自分なりに解釈し、お互いを尊重し合うことを実践できる環境を、アメリカは提供してくれます。
  • h_aya
    当時、ロンドンで高校に通っていた私は、1)日本に帰国して日本の大学へ進学する 2)ロンドンに残りイギリスの大学に進学する 3)アメリカへ渡り大学へ進む 3つの選択肢がありました。アメリカを選択したのは、当時通っていた高校がアメリカ系のインターナショナルスクールだったので、受験のサポートが充実していたことと、専攻したかったデザイン学部があり、且つ総合大学としてレベルがある程度高い大学がアメリカにあったこと、の2点です。
    幼少期からアメリカに住んでいたことも関連していたかと思いますが、それ以上に、大学で学んだことがグローバル規模である程度通用することが最低限の条件であり、希望でもあったと思います。アメリカの大学であれば、各国から学生が集まる環境にもあり、それから繋がる人脈構築にも期待していたのかもしれません。
  • h_aya
    競争が激しく、落第者は容赦なく退学させられるところでしょうか。
    ただ、この点は当時を顧みると大学側の視点から必然的だったと思います。どうしても大学入学当初は親元を離れた反動で、はめを外す学生が多く、それが行き過ぎると自然と成績に影響が出ます。それを学生自らコントロールできれば問題ありませんが、大学側からすると他の学生への影響、本人への影響、そして大学の評判に影響することなので、早い段階から厳しく評価することは結果的に良いことと思います。
    実際、一年目の同級生は約50人いましたが、卒業時の四年制は20人強に学生数が減っていたことには愕然としました。四年間で学部を変更する者もいれば、退学せざる終えない者もおり、それは主に一年生から二年生へ上がる時期に多かったと記憶しています。ただ、卒業を一緒に迎えられた20人強とは並々ならぬ共感が生まれましたし、卒業後も当時の思い出話に花を咲かせながら交流を続けています。
  • h_aya
    教授群のレベルの高さとカリキュラムの充実性です。
    社会人になった今でも学生時代に培われた知識や姿勢は忘れられませんし、当時教授から言われた言葉などは今でもデザイナーとしての向上心を支えてくれています。
    また周辺環境に、良くも悪くも娯楽が少なかったので、必然的に勉強に集中することが容易でした。キャンパス内の設備も抜群で、特に不自由な思いをしたこともなく、学園全体でアカデミアを後押しする姿勢が一貫してあったことを覚えています。
  • h_aya
    もともと工業デザインを勉強したかったので、専門学校も視野に入れていたのですが、カーネギーメロンが掲げている"Interdisciplinary curriculum"に惹かれ、入学を決定しました。デザインは専門分野と言えども、現実では他分野との関わりがあって実用性のあるものだと当時から思っていましたし、受験当時はまだデザイン一本に絞ることに抵抗があったのです。カーネギーメロンでしたら万が一専攻を変更しようと思っても選択肢は学内にありますし、何よりアカデミックな評判、総合的なランク、各企業への就職率などを見て最終的に入学を決めました。