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基本情報

留学タイプ
正規留学
経験した滞在
学生寮
一人暮らし
ビザの種類
学生ビザ
手続きした方法
全て自分で手続き
留学前の語学力
ネイティブ
留学前の職業
学生

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  • パリへの投稿
    h_aya
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    住まい4.5
    元滞在者(滞在期間:2013年3月~2014年3月)2015/12/31
    当時は11地区のVoltaire駅から徒歩2分のアパルトマンに住んでいました。 事情があって、実際に部屋を見ずに決めてしまった家具付き物件でしたが、間に入って頂いた日本語対応可の不動産エージェントの助けもあり、非常に快適で大満足でした。 間取りは、約8畳のキッチン付きリビングルームと6畳くらいのベッドルームにバスルームが一つ。リビングは大通りに面した南向きの窓があり、日当りも良かったです。4階(フランスでは1階を0階と数えるので現地では3階と書かれます)野部屋で、エレベーターはなく(フランスでは建物が古いことが多いのでエレベーターは少ないです)スーツケースを持っての階段はきつかったですが、裏にはすぐ塵捨て場、アパルトマンの1階にはピザ屋さんがあり、生活に必要なことは徒歩圏内、という立地でした。 家具付き、1年契約、Wifi通信費や水道やガス代込み(電気代だけ別でした)、などなどの好条件でしたので、家賃が少々高めでしたが、当初同じ語学学校に通っていた友達の寮生活などを聞いてみると、極端に狭かったり、日当りが悪かったり、色々と大変そうでしたので、値段相応なのかな、と思いました。

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  • パリへの投稿
    h_aya
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    物価4.0
    元滞在者(滞在期間:2013年3月~2014年3月)2015/12/31
    渡仏前からある程度は聞いていましたが、パリでの食材は安くてびっくりしました。そして何と言っても、乳製品のクオリティが高く新鮮で、何でも手に入る日本でもなかなかない貴重な体験です。 始めはスーパーマーケットで何でも手に入れていましたが、途中から野菜は八百屋さん、魚は魚屋さん、パンはパン屋さん、といった形で食材ごとに買う店を変えていました。日本と同じようにその時期の旬が分かるし、値段も安く、お店の人とのコミュニケーションもとれ、現地で生活している実感が湧きます。 一番のおすすめは決まった曜日に開かれるマルシェで買い物をすること。路面にそれこそ何十というお店が立ち並び、ありとあらゆる食材からお惣菜まで手に入ります。当時住んでいたRue de la Roquette付近のBoulevard Richard Lenoirのマルシェは最高でした!冬に飲んだカフェオレとバゲットは忘れられません。 パリは地下鉄も安く、一律€1.80でほとんどどこでも行けるので、便利です。バスも地下鉄と同様、Navigoというプリペイドカードで乗ることができます。よく購入する機械が故障していたりするのが難点ですが・・・。 唯一、日本に比べて物価が高いと思ったのは生活雑貨です。日本ではドラッグストアで何気なく買っている綿棒、トイレットペーパー、シャンプー、スポンジ、などが食材の安さに比べて高く感じました。紙製品のクオリティなども日本に劣るので、荷物に余裕のある方は、ティッシュなどは持っていかれた方が快適です。

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  • ピッツバーグへの投稿
    h_aya
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    買い物、飲食4.5
    元滞在者(滞在期間:2001年9月~2006年5月)2015/12/31
    Pittsburghは様々な人種や宗教の方が住んでいて、その分色々な食材や料理が楽しめました。New Yorkのような大都市に比べ、非常に小さなエリアがいくつかあり、それぞれに違う特色があって散歩がてらおいしそうなお店に飛び込める利点があります。 朝ご飯によく利用した、Pamela's Dinerは典型的なアメリカンブレックファーストプレートを満喫できるダイナーで、ハッシュドポテト・卵(目玉焼き、スクランブルエッグ、オムレツ、いろいろ選べます)・パンケーキが定番でした。安くて、休日などは早めに行かないと満員で入れないことも!当時はShadysideとSquirrel Hillにありましたが、現在は店舗が増えているようですね。 夜のディナーはそれこそ選択肢がたくさんありますが、ShadysideのWalnut Street付近はおしゃれで高め、Squirrel HillやOaklandは気安く入れるレストランが多くありました。Downtownまで足をのばすとMorton's ステーキハウスなど、ハイエンドなお店がいくつかあります。車がある方はMount Washingtonなどで夜景を楽しみながらのディナーもすてきです。私にとって個人的に盲点だったのは、Shadysideから少し歩いたEllsworth Avenue沿いにいくつかおしゃれなレストランがあったことです。Sobaという創作和食のレストランは日本食が恋しくなるとつい行きたくなるお店でした。 少しヒップなアーティストが集まるSouthsideやCarson Avenue沿いにはおしゃれなカフェがたくさんあったことを覚えています。アーティストが集う画材屋さんやストリートアートが盛んなエリアで夜でもにぎわっていました。 食材を買う楽しみの一つとして、Strip Districtというエリアによく足を運びました。川沿いにある、言ってみれば業者用の食材店が立ち並ぶエリアで、新鮮な魚介やイタリア食材、アジア食材が豊富にそろい、特に土曜日の午前中は賑わって歩いてみるだけでも楽しい空間です。

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  • h_aya
    日本
    2人が「参考になった」と評価
    学生寮4.0
    元在校生(通学期間:2001年9月~2005年5月)2015/12/31
    カーネギーメロンでは、一年生だけ学生寮に入ることを強制されます(大学院生を除く)。学生間の交流を深める目的と、おそらくは大学側の運営費として寮費が大きい割合を占めているのだと思われます。 どこの寮に割り当てられるかは入学直前まで決まりませんが、入学前にアンケートで自身の希望や生活スタイルを聞かれます(宗教、人種、朝方/夜型、性格、などなど)。これは特別な理由がなければ基本的に一年目は二人一部屋で住むルールがあるため、できるだけ相性の合うルームメイトと組めるように、学校側が運営しているのかと思います。 寮の種類は様々で、一部屋にベッドが2つと洗面所、洗面所は共同、マンションスタイルの部屋などなど、ありましたが、キャンパスに近ければ近いほど、部屋は小さめだったような気がします。私自身がキャンパスから徒歩10分ほど離れた学校が借り上げているマンションでしたが、キッチン、リビング(勉強机がそこに置かれていました)、ベッドルーム、バスルームとかなり広めの部屋を二人でシェアしていました。ただ、やはりルームメイトとの相性はあるもので、個人的には入学3ヶ月ほどでお互いそりが合わず、寮のDorm Surpervisorに相談して隣部屋の寮生と変えてもらった記憶があります。友人の中にはルームメイトと気が合って、卒業してからも親友として付き合っている人もいるので、こればかりは実際に会ってみないと分からない楽しみがあります。 二年目からは寮を出て自分でマンションを借りるなり、友達数人と家を借りるなり、寮に住み続けるなり、選択肢が与えられます。寮に住み続ける場合は希望を優先される確立が年ごとにあがっていくらしく、キャンパスに近く、それでいてバスルーム付きの1人部屋に3、4年生が暮らしていました。そのような寮は、メーリングルームや食堂など、集団生活をする上での利点もあれば、プライバシーの問題など難点もありますが、アメリカ的な学生生活を送る上で貴重な体験ができることは間違いありません。

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  • h_aya
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    交通4.0
    元在校生(通学期間:2001年9月~2005年5月)2015/12/31
    よく驚かれますが、在学中に一度も車を必要としたことがありませんでした。そのせいか今でも免許を持っていません。 ピッツバーグは学園都市的な所もあり、また製鉄産業が衰退してから低所得者層が地域的に定住していることから、バスの交通がとても発達しています。だいたいの場所へは急を要さなければバスで行くことができましたし、学生証を持っていればすべてのバス(空港から学校付近までのシャトルバスも含む)が無料で乗れました。電車など他の交通機関がなかったので唯一の公共交通手段として縦横無尽にバスでどこへでも行ったのを覚えています。 また、当時住んでいたのはShadysideというキャンパスから徒歩で20分ほどの住宅街でしたが、この辺りは古くからのお屋敷があったり、実業家が住むちょっとした邸宅などがあり、環境がとても良かったことを覚えています。隣のSquirrel Hillはユダヤ系住民の多い庶民的なエリアでよく食材を買い出しに行き、隣の大学 University of Pittsburghがある付近はOaklandと行って若者が集まるクラブやレストランが点々とするエリアでした。散歩がてら、このような場所を歩きながら課題の材料を探したことも幾度となくあります。 最後に、Carnegie Mellon だけだとは思いませんが、夜遅くまでキャンパスで勉強している学生を自宅付近まで送り届けてくれるEscort Serviceがありました。深夜ダイヤがキャンパス中に張ってあり、それに合わせてキャンパス内のバス停で待っていると小型のシャトルバスがピックアップしてくれて、大学周辺の主なエリアまで送ってくれました。寒い日は夜通し課題を進めている者にとっては、ありがたいサービスだったのを覚えています。

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回答

  • 元滞在者 h_aya
    日本人の割合は、州や町によって本当にまちまちです。
    自然と大都市はそれなりに日本人が多くいて、コミュニティもあったりしますが、大都市のニューヨークなどはビジネスで来ている方、逆に私が留学したピッツバーグは学生が多かったように記憶しています。
    昔、家族でカリフォルニアに住んでいた時は、日本人主婦層のつながりが強く、お子さんの学校情報の交換や習い事のお迎え、日本人学校のイベント参加など家族ぐるみがしやすかった環境でした。
    日本人の割合によって利点・難点は見方によると思いますが、個人的に留学する際はあまり日本人が多いと現地の経験を満喫できないような気がします。言語の不自由がある限り、どうしても団体で固まってしまうので、あえて多国籍なアメリカで色々な人と触れ合うのが良いと思います。
    あまり不便に感じた点はありませんでしたが、郵便や荷物の配達が日本ほど便利ではないし、安全でもありません。アメリカから日本へ郵送した荷物を無くされたこともあったので、保険やトラッキングは少々高くてもつけた方がいいと思います。
  • h_aya
    アメリカの良い所で書いた点は、諸刃の剣でもあり、人種のるつぼであるからこそ、難しい点はいくつもあります。
    留学する際に様々なカルチャーギャップは体験すると思いますが、個人的に思い出すのはやはり人種に伴う扱いを受けたことです。アメリカと言えども教育水準や教養はまだまだ格差があり、それ以上に様々な思想や姿勢を持つ人が同居している状況なので、中には日本人、又はアジア人全般に特定の印象を持っている人も少なくありません。特に悪意を持った扱いは受けませんでしたが、人種差別的な扱いを受ける可能性は大いにあること、またそれを受けても冷静に受け流すことが大切だと思います。
    また、アジア人は特に同人種で集団行動をする傾向にあるように思いますが、せっかくの留学体験なので積極的にいろいろな輪に参加することをおすすめします。最初はもちろん恥ずかしさや戸惑いがあるのが普通ですが、勉強している身としては必ず共通の話題があるので、それを発端として交流を始めるのは意外と簡単なことです。そして、アメリカで同人種で固まって行動していると(特に英語以外で話していると)、思っている以上に目立つので、他の人が話しかけにくかったりするのかもしれません。自分から敢えて壁を作らずに、少なくとも最初は遊び心を持って人と接するいい機会だと思います。
  • h_aya
    人種のるつぼであることです。
    特に大学は勉学を中心に様々な背景や人種が集まる特殊環境であり、その中で生まれる交流や人脈はかけがえのないものになりうる可能性があります。そういった人々が集まる中、一緒に遊び、議論をし、いろいろなことを話し合う中で、自分のアイデンティティも自然と形成されて、グローバルな社会における自分の居場所が見つかるのでは、と思います。
    何事もまずは受け入れ、自分なりに解釈し、お互いを尊重し合うことを実践できる環境を、アメリカは提供してくれます。
  • h_aya
    当時、ロンドンで高校に通っていた私は、1)日本に帰国して日本の大学へ進学する 2)ロンドンに残りイギリスの大学に進学する 3)アメリカへ渡り大学へ進む 3つの選択肢がありました。アメリカを選択したのは、当時通っていた高校がアメリカ系のインターナショナルスクールだったので、受験のサポートが充実していたことと、専攻したかったデザイン学部があり、且つ総合大学としてレベルがある程度高い大学がアメリカにあったこと、の2点です。
    幼少期からアメリカに住んでいたことも関連していたかと思いますが、それ以上に、大学で学んだことがグローバル規模である程度通用することが最低限の条件であり、希望でもあったと思います。アメリカの大学であれば、各国から学生が集まる環境にもあり、それから繋がる人脈構築にも期待していたのかもしれません。
  • h_aya
    競争が激しく、落第者は容赦なく退学させられるところでしょうか。
    ただ、この点は当時を顧みると大学側の視点から必然的だったと思います。どうしても大学入学当初は親元を離れた反動で、はめを外す学生が多く、それが行き過ぎると自然と成績に影響が出ます。それを学生自らコントロールできれば問題ありませんが、大学側からすると他の学生への影響、本人への影響、そして大学の評判に影響することなので、早い段階から厳しく評価することは結果的に良いことと思います。
    実際、一年目の同級生は約50人いましたが、卒業時の四年制は20人強に学生数が減っていたことには愕然としました。四年間で学部を変更する者もいれば、退学せざる終えない者もおり、それは主に一年生から二年生へ上がる時期に多かったと記憶しています。ただ、卒業を一緒に迎えられた20人強とは並々ならぬ共感が生まれましたし、卒業後も当時の思い出話に花を咲かせながら交流を続けています。
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