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- 元滞在者 yasuyuki_sakai_b「ホスピタリティ」については専門外なので分かりませんが、語学について一言。私は青年海外協力隊で2年半のバングラデシュと、2年間のアメリカ留学の経験があります。バングラデシュではベンガル語を話しました。この2つの経験から感じたのは、日常会話はだいたい3ヶ月から半年を現地で悪戦苦闘すると、何とか話せるレベルにはなるものです。これに対して読み書きはもう少し時間がかかります。英語「を」勉強するのではなく、英語「で」勉強するためには、それなりに内容の濃い文章を読みこなす力が必要です。アメリカに行けば何とかなるというものではないと思います。ある韓国人の学友(悪友?)は、ぎりぎりのTOEFL点数で入学してきましたが、ディスカッションやプレゼンの出来があまりに悪く、また上達もしなかったので、この学部の要求TOEFL点数が彼の後で引き上げられたという噂を聞きました。
- 元滞在者 yasuyuki_sakai_bアメリカの都市ごとに治安は異なるので、アメリカを一括りにするような一般論はないと思います。私はニューヨーク州北部のトロイにいました。旧市街のダウンタウンは治安が悪いと言われていましたが、ダウンタウンの中でも南北の端は住んでいる人の違いが何となく分かりました。そのようなところを夜間歩くことは避けるのは、常識の範囲かと思います。韓国や中国、インド、ネパールの留学生とは良い友達になれました。アメリカ人とも交流する機会はいくらでもありました。要は、異文化を理解する謙虚さを持って、一人の人間としてお付き合いをすることだと思います。
- 元滞在者 yasuyuki_sakai_b一般論は分からないので、個人的な経験をお伝えします。私は社会人経験7年の時点で青年海外協力隊に参加し、12年の時点でアメリカ留学しています。日本での学部は機械工学を出たのですが、留学はエコロジー経済学でした。応募時には青年海外協力隊の経験を書き、途上国開発との関連性をアピールしました。
- 元滞在者 yasuyuki_sakai_b私はニューヨーク州のRPI(レンセラー工科大学)に2000-2002年に留学しました。学校を選んだのはPetersonという受験参考書会社の大学院検索サイトで自分の興味と経歴から入れそうな学校に問い合わせを出したら、良い返事をもらえたので、合格ラインに達するまでTOFELとGREを繰り返し受け、結果が出たところで正式に申し込みました。ですから日本の斡旋業者は使っていません。ビザは必要な期間しか取りませんでした。日本の領事館で面接があり、その時に年数を決められたと思います。修士課程のために、たしか3年だったのではないかと思います。(当時のパスポートは残してないので正確に記憶していません。)私は会社を休職して、復職を前提に留学していたので、アメリカでの就職事情は気にしていませんでした。机を並べて勉強した日本人で、ソニーに現地就職した人はいました。どんな就職活動をしたのかまでは聞いていません。
- 元滞在者 yasuyuki_sakai_b他の学校のことはわかりませんが。私が通っていたRPI(レンセラー工科大学)はUpstate New Yorkと呼ばれるハドソン川流域にあります。日本での知名度はあまり高いとは言えませんが、200年近い歴史を持つアメリカ現存最古の工科大学で、全米ランキングでは50位に入るような学校でもあります。私が通ったコースはProfessional Mastersという仕組みで、働きながら通う人のために夕方のクラスが多くありました。フルタイムで昼間のクラスも取れば2年で修了できますが、もう少し時間をかける人もいました。ほとんどは少人数のセミナー形式なので、1ヶ月に1度ぐらいは自分でまとめて発表する番が回ってきます。人の話を聞く時も、その部分の本を読んでいないと議論に参加できないので、かなりの量を読まなければなりません。科目にもよりますが、1学期で6冊ぐらい本を読む他に4回のレポートという感じでした。取る科目数は学期ごとに2〜3科目なのですが、クラスのない日もほとんど毎日図書館に行っていました。だからと言って自由時間がないわけではなく、日本で会社員をしている時よりも、ずっと自由に自分の興味を追求する時間がありました。ビザは受け入れが決まった後で在日本の米領事館で面接を受けて取得できました。学費については、私の留学は2000-2002年で、その後ブッシュ政権が補助金を減らしたせいでどの大学も高くなっているということなので、あまり参考にならないと思いますが、文系科目ということもあり半年で6000ドルぐらいではなかったかと思います。家賃は月額650ドルのところに住んでいました。他には健康保険が高くて歯科までカバーするためには半年で750ドルほどかかったと思います。
- 元滞在者 yasuyuki_sakai_b留学していたRPIという学校は、伝統ある良い学校だと思いますが、日本での知名度はあまりないせいか日本人留学生は少なかったです。しかし留学して日本人だけで固まっているのはもったいないです。不便は楽しみの一部ですよ。2年間の留学でしたが、1年目は車なしでやってみました。ランドリーに洗濯に行くのに雪の道を歩いて行ったのは本当に大変でしたが、今となっては笑える思い出です。日本食の食材は韓国や中国の食料品店で手に入るものを工夫して使いましたし。なんとかなるものです。住めば都。
- 元滞在者 yasuyuki_sakai_b2000-2002年にニューヨーク州トロイのレンセラー工科大学に留学した者です。都会と田舎の中間、といった感じでした。結果として自然と歴史の両方に触れることができました。ハドソン川流域とアディロンダック山脈は景観が素晴らしく、創立200年近い伝統のある学校でしたので、街並みや産業革命時代の遺構を訪ね歩く楽しみがありました。ニューヨークシティには度々行きましたが、東京と比べて特に違った感じはなく、都会は世界中どこでも同じようなものだと感じました。まあ、住めば都だということかもしれません。