口コミ・評判15件
新規投稿- 課外活動5.0
- 元在校生(通学期間:2000年7月~2002年6月)2014/12/19
- RPI(レンセラー工科大学)には鉄道模型クラブ(Rensselaer Model Railroad Society)があって、日本では考えられないようなHOゲージの巨大なレイアウトを持っています。 http://railroad.union.rpi.edu/index.php?title=Rensselaer_Railroad_Heritage_Website http://railroad.union.rpi.edu/index.php?title=NEB%26W_Guide_to_the_Rensselaer_Model_Railroad_Society_-_Members_Photo_Gallery キャンパスの東の端、学生寮 Nason Hall の地下倉庫を3室連結した場所にあり、目印は建物の壁面に掲げられた踏切のマーク(丸にRRX:Railroad Crossing)です。公開日以外は施錠されていますが、フルタイム・スタッフのJohn Nehrick氏が、ほぼ毎日作業しています。 学生の他にも、リタイアした地域の老人たちも部員になっていて、中には自分の家の地下室を鉄道模型レイアウトにしている人もいます。 RPIのレイアウトは、アメリカ北東部の鉄道風景を再現したもので、実際の建物をもとにして細部まで再現することを目指しています。時代設定は1950年で、これは蒸気機関車とディーゼル機関車が混在していた時期であり、RPIのあるトロイのユニオン・ステーションがまだ健在だった最後の時期でもあるからです。 建物も車両も、いかにリアリスティックに「汚す」かがとても重要だと考えられていて、日本の鉄道博物館にある、ピカピカの鉄道模型とはずいぶん趣が異なるものです。 このように手の込んだ、なおかつ巨大なレイアウトは1年や2年でできあがった物ではなく、私が留学していた当時、すでに25年の歳月をかけて作り続けられたもので、それでも完成したわけではなく、あちこちが工事中でした。私はSaratoga Coal Companyという小さな建物を、キットをもとにして作りました。工夫したのは窓にあるブラインドで、小さな模型でリアルな感じを出すための材料を、手芸用品店を回って探し出しました。 鉄道模型クラブの長い伝統の一部になれたことは幸せだと思います。
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- 国際色、日本人比率4.0
- 元在校生(通学期間:2000年7月~2002年6月)2014/12/19
- 留学生の交流をすすめる団体が学内にあって、登録しておくと様々な催しに招待されます。 秋学期が始まる9月には留学生を招いての野外パーティーがあり、スクールバスを連ねて30分ほど走った公園まで出かけていきました。(余談ですが、通学の時間以外なら、スクールバスをこのように貸し出すことができるのだと初めて知りました。スクールバスの運転は、プロの運転手がするのではなく、地域の主婦たちの副業になっているのだそうです。ブリキの波板でできたような、黄色のスクールバスに乗り、その質素な構造に驚きました。) 10月には、アディロンダック山脈のチムニー・マウンテンにハイキング。標高は800mぐらいですが、文字通り煙突のような奇岩がたくさんあり、紅葉した緩やかな山並みと好対照の素晴らしい眺めでした。山の地下には洞穴ができていて、中には一年中氷があるのだそうです。 9月には、地元のリンゴ農園にアップルピッキング。日本ではリンゴ狩りといえば木になっているリンゴをもぎ取る情景が浮かびますが、アメリカでは文字通り、地面に落ちたリンゴを拾うのです。生食用の品種もあれば、加工用のもあって、袋一杯拾って帰った後は、オーブンでシナモン風味の焼きリンゴをたくさん作りました。 2月にはスキー。湖に面したスキー場で、氷上も通って歩くスキーでした。 4月には、同じくアディロンダック山中のハドソン川上流部で、雪解け水で増水した川をゴムボートで下る、ホワイトウォーター・ラフティング。氷が浮いている冷たい水ですから、ウエットスーツ、ヘルメット、ライフジャケットを着用。ガイドの声に合わせて前や後ろに漕ぐ方法の指導を受け、いざ出発。白く渦巻く急流をかいくぐりながら3時間かけて川を下りました。これは本当に面白かったので、翌年も迷わず参加しました。
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- 国際色、日本人比率5.0
- 元在校生(通学期間:2000年7月~2002年6月)2014/12/19
- 私が学んだのは2年間の修士課程でしたが、出会った日本人学生は10人に満たない数でした。私と同じ人文系の学科にはもう一人の日本人がいました。 私のいた学科では、留学生とアメリカ人の比率は半々ぐらいで、留学生は韓国、中国、ネパール、タイ人がいましたが、全学を見ると、工学系の留学生には中国人とインド人が多くいました。1年目には留学生向けのESL(English as a Second Language、無単位の科目)に出ていましたが、ここには中国人が圧倒的に多く、英語に不自由しないインド人は来ていませんでした。 私の住んでいたアパートで親しくお付き合いしていた隣人は、ABC(American-born Chinese、アメリカ生まれの中国人)姉弟で、サンクスギビングにはニューヨーク・シティにある実家に招かれたり、彼らの親戚を頼ってモントリオールを旅行したりしたのは良い思い出になりました。 同じ学部の講師の中に、日系アメリカ人の先生が一人いましたが、彼のクラスを取ることがなかったので、ホームパーティーで言葉を交わした程度でした。 大学の「日本人留学生会」というようなものは成立していなくて、学校の国際交流行事にも日本人で出場することはありませんでした。 デトロイト近くの日系自動車メーカーで働いて、お金が貯まると大学に戻ってくるという日本人学生が、レンセラー工科大学にいました。彼の話だと、自動車メーカーの周りには日本村ができていて日本人だけで暮らしが成り立ってしまうので、せっかく赴任してきた日本人の奥さん連は英語を使うこともなく帰国していくのだとか。日本人どうしで固まることの弊害というか、もったいなさを感じさせられました。
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- カリキュラム、教材5.0
- 元在校生(通学期間:2000年7月~2002年6月)2014/12/19
- レンセラー工科大学(RPI)は人文系の学部にも特色があります。私が学んだ Ecological Economics, Values and Policy は、STS(Science, Technology and Society)とEconomics(経済学)の共同プログラムでした。STSは、科学技術が社会に及ぼしてきた影響を批判的に検証する学問で、日本ではあまり教えられることのない分野ですし、長い歴史を持つRPIでこれを学べたことは幸いでした。 これと経済学が結びついていることに重要な理由があります。現在主流となっている経済学では、社会の全てを金銭に換算して考えます。地下資源や自然でさえ金銭で効用を比較するのです。Environmental Economics(環境経済学)は、製品の生産、使用、廃棄に至るまでの環境影響度を事細かに計算して比較する LCA(Life Cycle Assessment)が議論の中心です。しかし、Ecological Economics(エコロジー経済学)は、全てが金銭や数値に換算できるわけではないという立場を取ります。人間の経済システムは自然生態系のシステムに依存し寄生しているに過ぎず、自然破壊は人間社会の存立基盤を破壊する行為であると説きます。ですから、テクノロジーの発達が地球を救うことはありそうもない、という認識に至ります。 このような学問を、テクノロジーを真面目に追究している学生たちを横目に学んでいたことが、私にはとても刺激的でした。
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- 総合コメント5.0
- 元在校生(通学期間:2000年7月~2002年6月)2014/12/18
- 1824年創立、アメリカで現存する工科大学として最古の歴史を誇ります。アメリカの鉄道が始まる前、エリー運河の要衝に位置するニューヨーク州トロイで、産業革命の原動力となった学校です。 著名な卒業生を紹介した「Rensselaer Hall of Fame」(Engineering Center 1階)を見ると、近代社会の歴史を作った様々な人々を輩出しています。 ニューヨーク・シティにあるブルックリン橋を完成させたワシントン・ローブリング(1837-1926)は卒業生です。 日本人の卒業生には平井晴二郎(1856-1926、明治時代の鉄道技術者で北海道庁赤レンガ庁舎を設計)がいます。 製鉄の中心地がピッツバーグへ移る前、トロイはアメリカ製鉄業の中心で、南北戦争の北軍に馬の蹄鉄を供給したバーデン・アイアン・ワークスがありました。ハドソン川の両岸は氷河が作った谷になっていて、周囲から流れ込む支流は滝を作り、この水力を利用して工場が動いていました。レンセラー工科大学で学んでいたジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアは、解体されようとしていた工場の巨大水車を見て「観覧車」を着想しました。観覧車を英語でFerris Wheelと言いますが、この語源となっています。 http://en.wikipedia.org/wiki/Burden_Iron_Works このように古い歴史を持つ本学とその周囲には、産業史や産業考古学の興味をそそる遺構や展示物が数多くあります。 日本では「レンセラー工科大学」と呼ばれている Rensselaer Polytechnic Institute の名前について。ふつう略してRPIと呼ばれています。Rensselaer は英語読みでレンセレーアと発音されます。 創立者の Stephen Van Rensselaer (1764–1839)にちなむ名前ですが、17世紀にオランダから植民してきた商人の Van Rensselaer 家がこの地の実権を握り、Rensselaer County(郡)やRensselaer Town にその名を残しています。このあたりの地名にはオランダ語起源のものが多いのです。オランダ語の発音ではレンセラーが正しいようですが、英語でレンセラーと読むのを聞いたことがありません。
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