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  • かえる
    日本
    2人が「参考になった」と評価
    総合コメント4.0
    元在校生(通学期間:1996年1月~1999年6月)2014/11/09
    クライストチャーチ市内の住んでいたアパートから大学まで約20キロ。ラウンドアバウトはあっても信号はなかった。テスト前やレポート提出時間前急げば30分だったような気がする。 大学近くのカーブの辺りで、ひつじが道路を横切るのに止まって待った記憶はあるけれど。 この大学に決めたのはホームステイ先の従姉妹が通っていて大学を案内してもらったことがきっかけだった。のどかで、ヨーロッパの雰囲気を醸し出す煉瓦造りの図書館の入り口付近には、農学部の人たちが脱いで入れておく長靴ボックスがあった。改装前の食堂の奥にはバーがあって、昼間からクッと一杯飲んでいる学生がいたのもちょっと笑えた。教授をファーストネームで呼び、生徒と教授が仲良く見えたのも好印象だった。 入ってみると 好印象を持ったことには間違っていなくて、図書館で勉強する息抜きにちょっとジムで汗を流してまた集中したり、メリハリある学生が多かったように思う。 教授も生徒たちも割と真面目でおおらかだった。 授業を 時間まとめて取ろうとつめつめに取ったら、教室移動の距離が半端なくて走って移動することもあった。 初年度後期は教科を選べ空きがあったので、興味のあるクラスは一度授業を受けてから決めた。最後の年になると、なんとなくの得意 不得意や点数の配分によって、成績の取れ方がわかってきて、私はこまめにレポートを提出して点数を稼ぎ、Examは論文で配分が40%程度だっけ?の教科を好んで取った。レポートが多いとグループワークも多くてメンバーよってこんなにも違いがあるのかと苦労することもあった。けど、今となっては様々な留学生たちが集まる小さな世界を体験できてよい経験だったと思う。国民性っやっぱりあるのね。

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  • クライストチャーチへの投稿
    かえる
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    教育、学業3.5
    元滞在者(滞在期間:1993年4月~1996年6月)2014/11/09
    1月始まりで、高校は日本でいうところの2年生までしかなく、一年早く卒業することができた。 大学は3年間なので、大幅に学生生活を短縮することができた。ただ、私は成績がギリギリだったので、半年伸びたけど。 学生ビザで入国していたが、留学生活も中盤になる頃、ビザの就労条件が変わって、決められた時間内でアルバイトをしてよくなった。 当時、私も含め、日本人の友達がしていたのは、店員(スーパー、土産屋、飲食店)、カメラマン、美容師、ツアーガイド、ホテルマン、チューター、ビラ配り、ベビーシッターなど。学業優先で時間が限られていたので稼ぎにはなったのか?ならなかったのか?!ぐらいだったけど、いい社会経験となった。 本当に勉強していたのは、真剣に将来に向かって、学びたい事を考え、日本人なのに日本語を忘れるくらい現地人に馴染んで卒業に向かって努力していた人たちだったように思う。 努力をしても卒業できずに帰国する人もたくさんいたし、一方で興味のあるなしに関わらず取れる単位を辛うじて取り、卒業できた私のような人もいるので一概に勉強しなくてはいけないという事ではないかもしれないが。。。帰国してみるとこの中途半端なレベルで英語を話す人の多いこと!せっかく海外にいたのだから現地人レベルまで英語力を磨ければよかったのになぁと後悔と反省をしている。

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  • クライストチャーチへの投稿
    かえる
    日本
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    国民性3.0
    元滞在者(滞在期間:1993年4月~1996年6月)2014/11/09
    フレンドリー?おおらか?!ルーズ!マニュアル通りでないと動けない? 郵便が届かない、届けられないこともしばしば。折り返しの電話は絶対にかかってこない。バスが時間通りに来ないのは日常茶飯事。ただ、路線バスの名物ドライバーがいて、その人のアナウンスを時折懐かしく感じる。マイクを通して毎日違うことを話してくれていたので、リスニングの練習にもなったし、バスの乗客皆が楽しい時間を共有していたように思う。 古い物を大切に扱っていて、セカンドハンドの店が多かった。 キッチン用品 家具など掘り出し物も含めたいがいのものはそこで調達できる。服やアクセサリーなどのアンティークショップもたくさんあった。移民の国なので、代々伝わるものが必ずと言っていいほどあり、歴史の授業でそれぞれの物を持ち寄り発表したことがあるが、どのお家のものも素敵でよく磨かれていたり大切に扱っていた。

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  • クライストチャーチへの投稿
    かえる
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    住まい2.0
    元滞在者(滞在期間:1993年4月~1999年6月)2014/11/09
    はじめは学校から紹介されたホームステイ先にステイしていたが、運転免許証を取り、大学に入ってからは、時間に自由が利くフラットに出た。 日本食レストランやのスーパーマーケットにある掲示板を見て新しいタウンハウスのフラットに入居することができた。 ワーホリできていた日本人の同居人は楽で安心感を与えてくれたし、社会に出たことのある大人と付き合うのは勉強になったし楽しかったが、楽しすぎて危機感を感じてきたので、次は大学近くで自分が一軒家の借り主になってNZ人の同居人を探した。もちろんその時の人がそうだったというにもあると思うが、あらかじめ、細かくルールを決めて入居してもらったにも関わらず、家賃や間取り使い方についても、些細なすれ違いや発展するトラブルが多くて結果ストレスになった。価値観や家族環境が違う人と暮らすにはそれなりの覚悟が必要と勉強になった。 アパートで一人暮らしもしたけれど、留守中に洗濯機を盗まれたり、上の住人が夜になると暴れだしたり、ゴミ袋にはりねずみが入っていたり危険な思いもした。部屋の間取りもさることながら、一番重要だったのは住むエリアかもしれない。安心安全な高級エリアだと人も近隣住民も親切だったと思う。

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  • かえる
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    総合コメント4.0
    元在校生(通学期間:1994年1月~1996年12月)2014/11/07
    せっかく留学したのだから、日本人がいない学校に通おうと、編入試験を受けて地元の公立であるこの学校に入った。といっても提出書類をホームステイ先に書いてもらって、校長先生と面接しただけで入れた。 当時ステイしていたホームステイ先から乗り換えなしで通える高校が二つあり日本人がいなかったという理由でこの高校に決めた。 墓場の横で、リンウッドは(当時?!)治安のあまり宜しくないエリアだったから、通っている学生は強い人も多かった。留学生は多額の学費を落としているから、学校関係者には歓迎されたけど、韓国人の留学生の女の子なんかはカバンに入れておいた1年分の学費を盗まれてしまっていたのを思い出した。ジム(体育)の授業がある日は、お金は持っていかないようにしていた。 慣れてくると、優しい人も多くて、学校生活も楽しかった。バスケットボール部に入部して上と下の学年の友達もできた。フォーマル(プロム)のパートナーもできたし、地理のキャンプも楽しかった。キャンティーンで軽食を買うのも嬉しかったし、雑談できる友達ができただけで幸せに思っていた。 私は大学に行くのが目的だったから、ここで勉強して(そんなにしていないけど)、現地の採点基準で入学資格をもらえたのはよかった。

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