口コミ・評判19件

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  • Juni
    日本
    2人が「参考になった」と評価
    国際色、日本人比率5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/29
    将来に何になりたいか。将来の夢を探しに、または将来の夢を追いかけて留学する人もいるのではないでしょうか。では、留学先にいる学生はどんな夢を持っているのでしょうか。  Coe Collegeに留学した当時、私は公務員を目指していました。安定して落ち着いた人生を過ごしたいからです。その為に公務員試験に向けて勉強をしている時に海外のことも知ろうと留学しました。しかしそこにいたのは、皆明るくてユニークな人ばかりで、私みたいな堅い人は一人もいませんでした。すると留学が進むにつれて私も己の堅い部分が柔らかくなり、周りと同じくユニークな人間となっていました。  ある時、私はルームメイトから将来の夢について聞きました。すると彼はこう答えました。「ミュージシャン」。他の学生にも同じ質問をしました。「サッカープレーヤー」「バスケットボールプレーヤー」。彼らは20歳を超えています。しかし未だに将来の夢が大きいのです。これは昔からの夢だという彼らは常に大きな夢を持って生活しています。  公務員なんか小さな世界を目指しいていた私が馬鹿らしくなりました。世界の広さを知った私はもっと大きな夢を目指したいと思うようになり、公務員でなく芸能界に行く決心をしました。昔から演技が好きで役者に興味があった私は留学中に芸能事務所に連絡を取って書類審査を行い、帰国と同時にオーディションを受けて役者への道に進み始めました。  CoeCollegeでの留学は私の人生を180度変えてしまいました。今は留学したことが正解だと思っており。生涯忘れることのない経験となりました。
    アメリカ留学 将来の夢編

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  • Juni
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    遊び5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/29
    スポーツは万国共通の遊びです。アメリカではルールを知っていれば簡単に仲間に入れてくれます。私も仲間に入れてもらいましたが、日本でみんなとやるスポーツとは少々違いました。  体育館でサッカーやろうと誘われて、運動が得意な私は喜んでは参加しました。しかし体育館でやるには室内シューズを持っていません。すると一緒に来たCoe Collegeの学生が貸してくれました。彼は裸足でサッカーをするとのことです。彼はゲームが始まると靴の有り無し関係なしに動き回り、逆に靴など不必要に思う程の動きでした。集まった人数は全員で9人だった為1人余ります。その余った1人は見学。というわけでなくゲームに参加しており、現状で負けている方のチームに加勢するという特別なポジションで参加していました。これも日本では知らなかったルールです。  日本と最も違うと思ったのが彼らのプレーです。場所は体育館なのに急にオーバーヘッドキックでシュートを入れようとします。芝生でない固い床に頭をぶつけてもシュートした彼は笑っています。他にも世界でも数人しかできないと言われているハンドスプリングスローを真似て一回転してスローインをしたりと、その度胸と身体能力に驚きました。日本のみんなで楽しんでやるサッカーとは少し違い、私はその豪快なプレーに私は圧倒されました。  豪快なのはサッカーだけではありません。Coe Collegeにはバスケットコートもあります。そのコートで行うバスケットではダンクシュートを当たり前のように決めています。身長が190cmを超えるCoe Collegeの学生らが行うスポーツは日本とは別格と言っていいでしょう。  私は運動が得意といっても彼らのようなプレーはできません。なぜ、あんな豪快なプレーを平気でできるのか。日本とアメリカの違いですね。
    アメリカ留学 みんなでスポーツ編

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  • Juni
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    遊び5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/29
    留学では自分より先に現地に留学していた人が必ずいます。その日本人留学生が現地の学生に日本についての何を教えたのか。私はとても興味を持ちました。  私がCoe Collegeに留学して間もない頃、とある学生が初対面の私に挨拶をしてきました。「ヘイ!○○○!」私は唖然としました。いきなりの下ネタです。どこの日本人留学生が教えたのか、どこでそんな言葉を学んだのか。笑うしかありません。すると彼は私が笑ったことに対して「イエス!」とガッツポーズをして喜びました。つまりこの挨拶は日本人とのユニークな挨拶として学んだことなのでしょう。  日本では「たけのこゲーム」というのがあります。「たけのこにょきにょき、にょきっにょき」と言って他の人と重ならないように「1にょっき」「2にょっき」と数を言っていくゲームです。それがこのゲームをCoe Collegeの学生も遊んでいました。ただし言葉が違います。「バンブーバンブー、バンブーブ」といって数を言っていきます。バンブーとはたけのこという意味です。そして数字を言うと同時に頭の上で手を合わせてたけのこの形を作るポーズもしていました。これを「バンブーゲーム」といい、日本のゲームが英訳されてアメリカでも遊ばれています。  他にも「ニンジャ」というみんなで固まって一人ずつ動いて切られたら負けという私も知らなかったゲームもしており、このような日本の文化?を一体誰が、いつ、どのようにCoe Collegeの学生に教えたのかがとても気になりました。
    日本人留学生が教えたこと編

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  • Juni
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    国際色、日本人比率5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    留学先へ留学をするのは自分たちだけではありません。他の国からも、他の学校からも他の生徒が留学してきます。留学生にとって出会いは多く存在しているのです。  私がCoe Collegeに留学をした初日に空港まで迎えに来たのは、某有名大学の留学生2名でした。彼らは私たちより半年先に留学しており、長期留学の為Coe Collegeに滞在しているとのことです。留学先で一緒に来た留学生と2か月間ずっと一緒にいないと不安だという気持ちもありました。しかし、他の大学から日本人留学生がいることを知って私は安心しました。その後、その留学生らに大学内を案内していただいて、到着したその日から飲み会が行われました。まずは知らない外国人より、現地にいる日本人との交流を深めるために行われたそうです。  そして彼らが仲介となり、Coe Collegeの学生との仲を作るきっかけを作ってくれました。短期留学で友達など作る暇もなく帰国してしまうかもしれない私たちにとっては非常に有難い心遣いでした。Coe collegeでは世界中から留学生が集まっており。私が知るだけでも中国人、ロシア人、イギリス人、韓国人、ベトナム人が滞在していました。日本人留学生である彼らとも友達になり、パーティにはよく一緒に参加しました。英語がはせない私はたまに通訳をお願いすることもありましたが、留学後半となると彼らの手助けもなしに留学生活楽しむことができました。  留学は孤独なイメージを持っている方もいるかもしれません。しかし現地に日本人はいるはずです。心強い味方を探してください。
    アメリカ留学 他の留学生との出会い編

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  • Juni
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    学校の雰囲気5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    留学に行けば必ず別れがあります。ずっとその国にいたいという気持ちが残れば、それは最高の留学であったと言えるでしょう。  私は留学を終える1週間前から荷造りを始めました。2か月間使っていた机や引き出しが空になっていくのがとてもさみしく思いました。そして今までお世話になった学生たちへの感謝の気持ちが一杯です。それはCoe collegeの学生だけでなく、他の国の留学生、一緒に来た留学生らも同じです。そこで私は私なりの感謝を込めてプレゼントをしました。習字で一人一人それぞれに合った言葉を日本語で書いて、その意味を英語で記載してプレゼントしました。 中でも寂しいのが共に過ごしたルームメイトとの別れです。いつも楽しく接してくれて、私にニックネームをくれたルームメイトへは私の学生証をプレゼントしました。しかしそのルームメイトは出会った日と同様に、別れの日も女性を連れてベッドインしていた事が衝撃的な別れとなりました。先生には留学生ら全員がお別れを告げて、泣いている人もいました。たった2か月の留学で出会っただけで、ここまでの気持ちになるとは思いませんでした。出会った人とは今でもFacebookで繋がっており、時折メッセージを交換しています。  このアメリカでの出会いが私の人生を変えたことは確かです。今でも決して忘れることのない私の留学時代の話でした。
    アメリカ留学 別れの時編

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  • Juni
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    講師5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    アメリカへ留学する際は日本から付き添いの先生が来ることは少ないです。現地の先生に会って、現地の先生から説明を受けて、現地の先生の授業を受けることになります。私が出会った先生は少し変わった先生でした。  空港にて待っていた先生は白髪で少し小太りした先生。まるでカーネルサンダースに似ていると思っていたら、自分で「アイアム カーネルサンダース」と言い始めました。アメリカ流の緊張をほぐすためのジョークです。もう一人の先生は少し年配で、白髪の女性でした。この方は真面目で、ジョークを言うことはありませんでした。  Coe Collegeでお世話になったのは主にこの2人の先生です。英語を教えるだけでなく、学校内での休暇やイベントなど、様々なことについて教えてくれました。そして日本の大学とも話を通してくれたのがこの先生方です。私がミズーリ州に一人で行くと言った時に日本の先生や両親とも確認をとり、旅行中も電話で確認をするなど、常に私の安全の確認をしてくれました。また、現地でホームスティをする予定が、2人分泊まれなくなった時がありました。するとホームスティをしなかった私を女性の先生が街へと連れて行ってくれました。  Coe Collegeは留学が盛んな大学なので、先生方も私たち留学生に合わせた親切な行動をとってくれます。
    アメリカ留学 留学先の教師2人編

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  • Juni
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    交通5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    日本とアメリカは違います。銃社会であり、拳銃一つ突きつけられるだけで犯罪に巻き込まれます。故に出歩くときは常に危険が伴います。「アメリカは危険なので外に出るときは2人で行動すること」と留学初日に言われました。 しかし私はとても行動派です。当時若かった私は危険を顧みず、留学中は一人で学外を出歩きました。街並みはとても落ち着いており、まるで映画に出てくるかのような雰囲気でした。Coe Collegeの付近はスーパーマーケットが一つあるのみで、より大きなスーパーマーケットに行くには約6km先にあります。私はそこまで歩いて行きました。そこでは銃も売っており、服や私生活に必要なものが揃っていました。私はお土産などで荷物が一杯になったので、帰国に必応なキャリーケースを購入して6km抱えて寮へ帰りました。 私が外出で一番印象に残ったのはトウモロコシ畑です。日本にもあり、特に珍しくもない光景ですが、ここアイオワ州ではトウモロコシの産地として有名であり、トウモロコシ畑が永遠と続いているのです。トウモロコシ畑を見ると水平線上にかけて広がっており、奥には建物一つない、日本では決してあり得ない光景の畑です。地球の丸さをトウモロコシ畑で実感したのはとても印象的です。 アメリカは広いため、日本の町から町へとの距離間隔が違います。Coe collegeから外へ出るときは、自転車を貸してもらうか自動車に乗せてもらうことをお勧めします。
    アメリカ留学 アイオワ州編

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  • Juni
    日本
    1人が「参考になった」と評価
    自然環境5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    アメリカの温度差は激しいです。まるで日本の夏と冬が短期間で入れ替わるような温度差で四季を巡っています。私が留学した1月は最低気温が-20度で凍えるような寒さでした。アメリカの寒さを予期していた私は寒さ対策に厚手のダウンコートと手袋とマフラーを用意していたので、寒い街中を歩くことも可能でした。しかし2か月後の3月、その必要は全くなくなりました。先日まで冷えていた温度が上がり、雪も溶けて日が照り続け、真夏と言っていい程の温度になりました。 日本でいう冬の暖かい気温ではなく、真夏の猛暑といえる気温です。この暑さに皆半袖で歩き、室内ではクーラーをつける者もいました。外では日差しの中で日に当たる者が多く、学内の芝生に水着になってまるで浜辺にいるかのように寝転んで3月にサマーバーケーションを楽しんでいます。また学内の庭には机もあるため、外で勉強する人もいました。それが水着姿なのが印象に残っています。 しかし翌日になると日も弱まり、その3日後には曇り空となって今までと同じく生徒は長袖を着て学内を歩いていました。アメリカでは冬でも「暖かい」ではない「暑い」日が稀にあります。その日を異常だと思わず楽しむのがアメリカ社会なのです。
    アメリカ留学 2か月の温度の差編

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  • Juni
    日本
    0人が「参考になった」と評価
    国際色、日本人比率5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    アメリカでは年に一度、3月17日に聖パトリックを記念とした祭りが開催されます。その日は一日、緑の物を身に着けることとされており、アメリカの街は緑一色に染まります。緑の物といっても様々なものがあり、緑のシャツや緑のワッペン、緑のネクタイや緑のカバン、緑の帽子や緑の人形といった物があふれています。その日一日は街中での祭りといった感じでパレードが行われます。無論、見に来た観客も全員緑色のものを着用して見に来ていました。私も緑の缶バッチをつけてパレードを見物していました。 その夜、Coe Collegeでは緑を身に着けた生徒でパーティが行われていました。学生らは髪の毛から飲み物まで緑に染めており、一日でこんなに緑色に変わるのかといっていい程、私たち留学生にはついて行けませんでした。しかし、日本から持ってきた荷物の中に緑色の物があると、早速取り出して身に着けることで皆の仲間入りをしている留学生もいました。売店ではもちろん緑の物がその日だけ販売されており、私も売店で緑の物を買って、皆の仲間入りをして祭りを楽しみました。しかし聖パトリックデーといっても皆お酒を手にしており、結局は飲み会となって酔ってしまうというのがアメリカのお祭りです。 その国のお祭りでは、その国の伝統や歴史になぞって参加するのが国際社会に向けてのいい勉強です。
    アメリカ留学 聖パトリックデー編

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  • Juni
    日本
    2人が「参考になった」と評価
    買い物、飲食5.0
    元在校生(通学期間:2012年1月~2012年3月)2016/01/27
    日本では銃が規制されています。アメリカでは銃に規制が無く、お店に行けば普通に買えるという国です。留学前に大学側から買ってきてはいけない物の一つとして挙げられていました。しかし私は銃が好きなので、留学中に銃に関する何かを買いたいと思っていました。 Coe Collegeから少し離れた大型ショッピングモールにて、銃は販売されていました。引き金だけは外されているので実際に持つことも可能で、その重さと握った感覚に感動していました。価格は約1000ドルです。無論、購入はできません。弾も売っていました。箱に詰めてあり、セットでの販売です。これも購入は禁止です。なので私は銃に装着するレーザーポインターという付属品を買いました。これは日本でも販売されているので持ち帰ることは可能です。そしてそのレーザーポインターを付けるために20ドルのエアガンを購入しました。しかしこのエアガンが問題となりました。 大学に戻って先生に話すと持ち帰りを禁止されました。エアガンでもエアガン似せた拳銃である可能性もあるため、空港内で止められてそのまま留学生全員が日本に帰れないという場合がある為です。私は玩具であると交渉しましたが認められず、仕方なしにそのエアガンを壊して帰国することになりました。日本で別のエアガンを購入して、そのレーザーポインターは今でも大切に持っています。 留学先では、他の留学生に迷惑がかかる行為はしないように気を付けてください。
    アメリカ留学 銃の規制編

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